子連れで海外旅行、ベトナムってどんなところ!?
みなさんはベトナムと聞いてどんな印象をお持ちでしょうか。
ベトナムに行ってみて気に入ったところ
まずは気候。
私たちが滞在したのは春休み期間のホーチミン。
気温は日本の夏です。
昼間はけっこう暑いけど、湿度は日本ほど高くなく朝晩は過ごしやすかったです。
それから物価が今の時点では安いのも魅力でした。(きっと今後は上がるだろうと言われていますので)
あとは、ベトナムの人もあったかくて良かった。
ベトナム語はさっぱり分からなかったけど、ほとんどの人がこちらが理解できるように身振り手振りで接してくれたり、子どものことを気にかけてくれたり、実際タクシードライバーやガードマン(というかバイク駐車場の整備をしている人かな)等にはかなり助けてもらいました。
食べ物にもそんなに苦労はしなかったですし、さすがにお水は心配でしたがこちらも不安はよそにお腹も壊すことなく過ごせました。
街は古き良きベトナムな部分と近代的な部分が融合していて、驚くような光景もありつつも、日本とほぼ変わらない生活をすることも可能でした(物に不自由することもない)。
一番気に入ったところは、砂場があるカフェ!! 砂場遊びができて、食事もできる子どもにやさしいキッズカフェなんかもあるんですよ。
そんな国で2週間、のんびり子どもと過ごしたベトナムでリフレッシュできましたー。
ベトナムという国、その歴史にちょっと触れてみよう(苦手な方は飛ばしてね)
ベトナムは正式国名『ベトナム社会主義共和国』といい、人口1億人弱(その約8割がベトナム人)のインドシナ半島の東部に位置する南北に細長い国です。
北は中国、西はラオス、南西はカンボジアとお隣同士です。
その昔、紀元前の頃から中国と関係がありしばらくは中国の支配下にあったようですね。
ベトナム王朝の歴史が残るフエにある歴史的建造物群(世界遺産)はその当時の中国の影響を受けて造られたものなのでしょう。
(フエのグエン朝王宮はベトナム初のユネスコ世界遺産となりました)
その後、19世紀後半からフランスの侵攻が始まり植民地化し、仏領インドシナと呼ばれます。
幾度となく独立運動が繰り返され、その後第二次世界大戦で、日本が降伏文書に調印したその日に、独立を宣言しました。(グエン王朝の皇帝も退位)
(日本の授業で習うことはなかったけど、フランスと日本は当時敵対国でした。終戦の少し前にフランスはドイツに降伏を宣言し、ドイツと同盟国であった日本は仏印進駐といってベトナムに入っています。当時ベトナムはフランスと日本に二重に支配されていたということです。)
南北に長いベトナムは独立を宣言したものの他国からの思惑に翻弄され、長い月日を経て北ベトナム(ソ連)と南ベトナム(アメリカ)という構図が出来上がってしまう。
同世代には記憶があるだろうベトナム戦争が長く続く。
べトちゃんドクちゃんといえば思い出す人もいるかもしれませんね。
その、ベトナム戦争の終結が宣言され、1976年に南北ベトナムが統一、ベトナム社会主義共和国が樹立する。
ここでそれまで『サイゴン』と呼ばれていた旧サイゴンとその周辺地域を北ベトナムの指導者『ホー・チ・ミン』の名前を取ってホーチミン市となったのですね。
だから至る所にサイゴンの名前が今も残っているわけです。
私たちが一泊だけ宿泊した『コンチネンタルサイゴンホテル』も1880年の創業当時の地名に由来するものなのでしょう。
現在ではASEANの加盟国であり、社会主義国でありながら1986年のドイモイ政策により外国の資本投資を受け入れ経済成長を続けています。
今後もますます発展を遂げるであろうベトナムにとても興味を持ちました。
というわけで、今後しばらくベトナムネタが続きますがどうぞお付き合いください。
※上記記述は歴史上の事実を私なりの主観で簡単にわかりやすくまとめたものであり、違った解釈を持たれる方がいらっしゃるかもしれませんがその点ご理解いただければと思います。
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